「仕事は見て盗め、質問するな、意見は生意気」と放置された新人時代
19歳でCGデザイナーになった時、仕事を手取り足取り教えてくれる人は、誰1人としていなかった。 職人気質なのか、「技術は見て盗め」という教えで、一度説明を受けたことを二度も聞き返すものなら、するどい目つきで睨まれた。質問しようものなら舌打ちはされるし、意見しようものなら「生意気だ」と一喝され、放置された。 優しそうな先輩に助けを求めても、男性の縦社会なのか分からないが、申し訳なさそうに見て見ぬふりされたこともある。
当時は高校を卒業したばかりで、私もまだまだ子どもだ。 デザインがしたくて男性社会にポンと飛び込んだものの、女性社員も全くいなく、心細かったのは言うまでもない。 今でこそ明るみに出てきたが、セクハラめいた発言を受けたこともあるし、そういう目で見られたことがあるのも確かだ。
同時に、同級生は華やかに充実したキャンパスライフを送っている。モラトリアムという言葉は大嫌いだが、やはりみんなと自分の境遇を比較して、嫉妬に似た感情を抱いた自分に戸惑ったりもした。 「後悔は絶対にしたくない」というのが私の信条であるが、早くも後悔の念に苛まれていた。
意見をするなら、一人前に仕事が出来てからにしろ
そんな中、大変お世話になった先輩が1人だけいる。私より10個上の先輩は、センスが抜群に良く、仕事のスピードが誰よりも早い。他の人が嫌そうに愚痴を吐きながら残業をしている横で、
お先です(サッ)
といって定時に帰っちゃうような人であった。その姿がとてもかっこよくて、憧れた。
その先輩とは部署が別で、話す機会がほとんどなかったが、業務後に接触を図り、色んな会話をした。ほとんどが仕事の話であったが、先輩と話していると、この仕事がものすごく魅力的に見え、特別に思えた。
ある日、私が仕事の愚痴を吐いたことがある。確か内容は
- もっとこうしたら良くなるのに。
- 私はこんなに頑張ってるのに。
みたいなものだったと思う。 すると先輩から返ってきた言葉は意外なもので、
意見をするなら一人前に仕事が出来てからにしろ。
今お前がどんなに御託を並べ、理想を語ったとしても、結果が伴っていないやつに耳を貸すほど皆暇じゃない。
それがちゃんとできたら、皆はお前を認め、何も言えなくなる。
といようなものだった。
その時は悔しかったし、恥ずかしかった。そして何も言い返せなかった。 そしてその日から、私は劇的に変わった。
業務後に深夜まで勉強、1年で全てのスキルを習得する
- 先輩に認められたい。
- 褒められたい。
- 一緒に仕事がしたい。
- あの高みにいきたい。
そんな下心もあって、その日から私は毎日業務後に色んなソフトを習得することにした。
当時は、モデリング、ライティング、フォトショップ、という3つの仕事があった。モデリングというのは、建築物の設計図を見ながら、formZというソフトでパソコン上で建物を組み立てる仕事だ。ライティングというのは、C4Dというソフトを使い、その真っ白な建物に素材を貼っていき、質感を出していく。太陽の方向や光の方向を計算し、より本物に近づける「色付け」の仕事だ。
フォトショップは、PhotoShopというソフトで、植栽を入れたり、添景写真を加工合成して、最後の仕上げに取り掛かる、よりドラマチックに演出していく仕事だ。 そして先輩は、全てのソフトを使い「アングル」という仕事を作り出した。写真をやっている人ならわかると思うが、物の角度で、その表情が全然違う。カメラの広角1つにとっても、見せる表情を変える。遠近感、鋭さ、緩やかさ、見上げ、俯瞰。そして、そこにタイポグラフィを打ち、より広告的に訴える仕事だ。
自ら仕事を作り出していくパワーと負けん気とスマートさに、私は励まされ
絶対この人と仕事をしたい。
と決意した。
当時私は、モデリングから仕事を始めた。図面を隅々まで読み、スケール(物差し)で数字とにらめっこ。18時にその業務を終え、ライティングを学んだ。そしてすぐにのめり込んだ。ソファの革の質感、タイルの鈍い輝き、窓の鏡面の反射、名匠の家具の制作・・・色んな事を手探りでした。
1年も経つと、全てのソフトの使い方が分かり、誰からも文句を言われることがなくなった。むしろ、私にペコペコするようになった人もいて、人って本当に権威や立場に弱いな、と皮肉に感じた。しかし、そんなのはもうどうでも良くなっていた。念願のアングルの仕事に先輩が迎え入れてくれたからだ。
「センスない・仕事できない・頭悪い」と言われる毎日
運良く先輩のところで仕事が出来たが、そこから毎日罵倒の日々だった。当時の私はロックシンガーのアヴリル・ラヴィーン(Avril Ramona Lavigne)が大好きで、ファッションもメイクも影響を受けていた。元々がバンドマンなので、革ジャンやスタッズやヒョウ柄が大好き。好きな男性は長髪派。自由な格好が出来るからこの業界にきたのに、先輩には、
ダサい。
本当にセンスがない。
と言われた。
そのセンスの無さは仕事にも影響するみたいで
何でこんなものも分からないの?
頭悪いんじゃない
仕事できないの?
高卒とはやっぱり話できんわ。
等、今でこそモラハラな発言をたくさん受けた。 私の生意気さが鼻についたのかもしれないが、その言われようはあまりに理不尽だ。 そして段々、
こいつまじでぶっ殺したい。
という感情に変わってきた。
絶対見返してやる
在職中、先輩はたった1年の勉強で一級建築士の資格を取得した。平均合格率12%らしい。業務を終え、予備校に通い、毎日勉強に励んでいた。でも努力をしているようには見えない。いつだってスマートだ。
昔、私に
とにかく結果を残せ。結果しか人は見ない。結果でしか人を黙らせることは出来ない。たった1つでも良いからコツコツと。
学べ、それが大きな力になる。
と話してくれた。そしてそれを体現してくれた、本当にかっこいい大人だった。
私は今でも、過程が大切だと思っているが、結果も同じように大切だと思っている。それでしか人は評価できないからだ。それはこれまでの人生で身をもって経験した。
私も先輩と同じように結果を出したいと思い、合格率2%の地方公務員試験に合格した。
高卒と話できない
と言われた先輩を見返したい理由もあって、先輩の出身校の国立大にも行った。 先輩が仕事帰りに勉強をして努力をしてることを知っていたから、全てを真似てやってみた。 そしたら全部達成できた。
今では業種こそ違うものの、私もデザイナーのはしくれとして生きている。自分で生計を立て、少しずつ結果も出してきている。 あの時の仕事のやり方を学んだから、デザインだけでなく、コーディングもする。紙媒体も電子媒体もする。物書きもするし、動画も作ってみる。色んなことをすると、また違った発見が出来るし、自信にも繋がる。
ただ、あの時の先輩と違っていることとしては、私は人に暴言を吐くことはしないし、人を見た目や経歴だけで判断しないと決めていることだろう。
そして、後輩には生意気であってほしいし、どんどん質問しても良いと思っている。 嫌なことはやらなくて良いし、やらなくて良い努力も苦労もしなくて良いと思っている。 後輩は先輩を追い抜いていくものだからだ。
ただ、仕事に対しての熱量、プロ意識、達成する喜び、誰かに認められること、闘える仲間がいたこと、そのどれを切り取っても、今の私の働き方を作ってくれたことは間違いなく先輩だ。とてもとても感謝している。
人生の中で一番「ぶっ殺したい」と思えた時間が、今の私の土台を作っている
会社に不信感を感じたのと、もっと理想とする自分の生き方を求めて、私と先輩は同時期に会社を辞めた。先輩と仕事をしてから2年が経っていた。
その後先輩は独立し、今では立派な経営者になっている。私は公務員になり、今はフリーランスのデザイナーだ。 辞める時に「一緒に会社を作ろう」という誘いもあったが、先輩の暴言には嫌気がさしていたのと、公務員になると決めていたので、丁重にお断りした。
ただ、もしあの時先輩と仕事を続けていたら、高いレベルのデザイナーになっていたと今でも思う。やはり勉強になるし、刺激的だったし、何よりも楽しかった。 今ではお互い違う道を歩み、これから二度と会うこともないだろう。
人生で1番「こいつぶっ殺したい」と思えた時間が、今の私の土台を作っている。 苦しかったが、確実に私の人生に必要な時間であったと確信を持って言える。 先輩が独立した歳が確か32歳。今の私と同じ歳だ。私は先輩に追いつけているだろうか。どうせ今の私を見ても
お前何やってんの、ダメダメだな
と真顔で言いそうだから、今日もまた、コツコツとやっていこうと思う。
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